アート保有者限定ページ:"Kritische Theorie" and "Outside the Status Quo"-「批判理論」と「現状の外側」

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TICE式コーチング及び苫米地式コーチングの軸となる思想があります。それは「現状の外側にゴールを設定する」というものです。

では、なぜ現状の外側にゴールを設定しなければいけないのでしょうか?

TICE式コーチングや苫米地式コーチングでは、主に以下のような説明がなされます。

・現状の内側のゴールは他人や社会によって植え付けられた偽物のゴールの可能性が高いから
・より遠くにゴールを設定することでホメオスタシスによる強いエネルギーが生まれるから(輪ゴム理論)
・現状の外側にゴールを設定することでスコトーマが外れるから

上記の説明は、現状に満足していない人の場合十分納得可能なものですが、「私は別に大きなゴールなんていらない。普通が一番です。」といったような現状維持を望む人に対しては、説得力の欠ける説明です。

では、現状維持を望む人は現状の外側にゴールを設定する必要はないのでしょうか?

先に答えを言うと、現状維持を望む人であっても現状の外側にゴールを設定できるようにならなければいけません。もう少し別の言い方をすると、人類は現状の外側にゴールを設定するようなマインドの利用技術を失わないよう、後世に伝え続ける必要があります。

「苫米地博士が『現状の外側にゴールを設定しろ』と言っているのだから、それが正しいに決まっている。」と盲目的に現状維持を否定している人は注意が必要です。それでは苫米地博士やルー・タイスが真に伝えたかったことが伝わっていないと言えるでしょう。それが何かを理解するには、まず、「現状の外側にゴールを設定できるようになること」というTICE式・苫米地式コーチングの思想のもとになっている哲学を知る必要があります。

20世紀、多くの哲学者が「人間はなぜファシズムやナチスによるユダヤ人の虐殺のような非人間的行為を引き起こすのだろうか?」という問題に頭を悩ませていました。特にその問題について取り組んでいたのがフランクフルト学派の学者です。TICE式コーチングを作り上げたルー・タイスや苫米地式コーチングを作り上げた苫米地博士は、フランクフルト学派の学者が出したこの問題の答えから「人はゴールを現状の外側に設定できるようにならなければいけない」という結論を導き出したと考えられます。(影響を受けているのは確実でしょう。)

ご存知の通りだと思いますが、ルー・タイスや苫米地博士は「戦争と差別をなくす」といったゴールを掲げて平和のための活動に人生の多くを捧げているほどの平和主義者です。そんな彼らがファシズムやナチスが起こした問題に対して関心がないわけがなく、この問題に対する哲学的帰結を知らないということは考え難いです。

現に、フランクフルト学派の学者が出したこの問題の答えとTICE式・苫米地式コーチングの軸となった「現状の外側にゴールを設定する」という思想は、多少使用する言葉は違いますが殆ど合致しています。フランクフルト学派の学者たちは、この問題を考えるにあたって、「理性」という言葉を用いて人類の目指すべき姿を以下のように主張しています。

「理性はいつの間にか現実を無批判に受け入れ、ただ現実に適応して人間の自己保存を図る手段に成り下がってしまった。現実社会の目的や価値について考察することを忘れ、科学技術に奉仕する単なる道具になってしまったのである。このような理性を道具的理性と呼び本来の理性とは区別しなければならない。本来の理性は現実が目指すべき目的や価値について思索し、現実を超える理念の立場から、現実の矛盾点や問題点を明らかにし、それを克服しようとする批判的理性であるべきだ。批判的理性を失った人間で構成された社会は効率的に目的を達成するためなら非人道的な行為も厭わなくなる。過去の非人道的な過ちを繰り返さないためにも、人類は批判的理性を取り戻さなければいけないのだ。」

フランクフルト学派の学者が言う「批判的理性」とは、コーチングでいうところの「現状の外側にゴールを設定しようという試み」のことです。現状の外側にゴールを設定するには、すでに設定されているゴールを疑う必要があります。これは「目的や価値について思索する」という批判的理性がなければできないことです。また、「現状の外側にゴールを設定した後に、そのゴールの達成方法を見つける。」という行為は、「現実を超える理念の立場から、現実の矛盾点や問題点を明らかにし、それを克服しようとする。」という批判的理性の定義そのものです。

「現状の外側にゴールを設定する」というTICE式・苫米地式コーチングの思想が「批判的理性」から派生したものと考えると、「全ての人間が現状の外側にゴールを設定できなければいけない理由」がわかるかと思います。

必ず現状の外側にゴールを設定しなければならないというわけではありません。現状維持に満足している人はそれで問題ないでしょう。ですが、現状維持に満足している人であっても「批判的理性」を持っていなければいけません。社会は日々変化し、知らず知らずのうちに徐々に現状は書き変わっていくものです。殆どの人間は戦争のような野蛮な行為は望んでいませんが、生きていれば少しずつ現状が書き代わります。そしていつの間にかこのまま現状維持を続けた先の未来が「戦争が勃発した世界」に変わってしまうことがあります。

その時、権力者を含む多くの国民が批判的理性を失っていれば、どうにもならない状況に陥り社会が崩壊するまで現状維持を続けることになるでしょう。人間は批判的理性がなければ社会の腐敗や社会全体の貧しさに鈍感になり、現状を維持した先に訪れる未来がどんなに悪いものでも、「仕方のないこと」「それが当たり前」と感じてしまいます。社会が荒廃していくことに違和感を感じることができなくなってくるのです。当然その状態では「現状の社会を変えてより良い社会を作っていこう」といった現状の外へ飛び出すエネルギーもありません。

長い間特定の社会システムが維持されていると、そのシステムに従った道具的理性に基づいた選択ほど価値が高まり、それに伴って批判的理性の価値が評価されなくなっていきます。個々の人間は道具的理性優位の状態が維持され、効率ばかりを追求する価値観が一般化していきます。そして人権や人としての尊厳など本来お金で計ってはいけない価値までもがシステムの一部に組み込まれていきます。最終的には人の命を使って「戦争」というビジネスが始まります。その時殆どの人々が批判的理性の重要性に気づくでしょうが、ここまで人々の批判的理性が欠如した状態では、道具的理性に囚われた社会を現状の外側に動かしていくのは大変です。

今現在、食料の安全や水源地、人間の健康や個人情報など、システムの一部に組み込んではいけないものがどんどん資本主義システムに組み込まれていっています。道具的理性に支配された人間によって社会が運営され、道具的理性に支配された大多数の国民がそれを後押しし続ければ、再び悲惨な歴史を繰り返すことにもなりかねません。そろそろ人類は批判的理性を取り戻し、何千年と繰り返してきた人類の過ちの連載を終わらても良いのだと思います。

「現状の外側にゴールを設定する」という思想にはルー・タイスのレガシーや苫米地博士の「戦争と差別をなくす」という想いと共に、平和を望む哲学者たちの想いが込められています。そして認定コーチに限らず、TICE式コーチングや苫米地式コーチングに関わる全ての人は既にその想いを受け取っています。私たちはそれを強く認識した上で多くの人々へこの想いを紡いで行く必要があるでしょう。

TICE式コーチングや苫米地式コーチングは単なる自己実現の技術ではありません。平和を望む人々によって紡がれてきた想いこそがTICE式コーチングや苫米地式コーチングが持つ本当の価値であると私は思っています。

この想いが未来永劫に紡がれることを願い、ブロックチェーンに刻み本記事を終わりにします。

2022年10月28日 沼田 慶幸

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