思考の3つの軸「言葉」

思考の3つの軸。私たちは言葉(Words)、映像(Pictures)、感情(Emotions)によって思考している。3つのうち、特に「言葉」について考えてみました。

言葉は、さまざまな働きと力を持っています。以下の1〜3は、説明のために分類しますが、分かれているわけではありません。その時々使う人間によって変わる意味合いと捉えています。

  1. 音としての言葉
  2. 図形(シンボル)としての言葉
  3. 定義としての言葉

1. 音としての言葉。赤ちゃんの泣き声や、危機的状況においての叫び、音楽など。他者に訴えたいこと、伝達したいことがある時に音として発する言葉。

2. 図形(シンボル)としての言葉。象形文字やマントラ。象形文字は、実際の物や現象の形をかたどって作られた文字。マントラは、サンスクリット語で「文字」「言葉」。漢訳は「真言」。大乗仏教、密教で仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した言葉。

3. 定義としての言葉。これは状態や意味を表す共通ルールとしての言葉です。青信号で進む際の「青」。広義では数学語もここに含まれるでしょうか?(どうでしょう??)

私たちが日常において最も頻繁に使っているのは、3. 定義としての言葉です。厳密に言うと感知している「青」は人それぞれ微妙に違うはずですが、便宜上その差異を無きものとして社会生活を進めており、交通信号の場合はそれで何ら支障ありません。

現在、社会的に支障をきたしているのは「感情を表す際の言葉」ですよね。

誹謗中傷がわかりやすい例ですが、それ以外にも、私たちはあらゆる場面で「感情を言葉で表す」ことを行なっています。

言葉を発する側としては「軽はずみに」なのか「自分の鬱憤をただただ発散したい」のか「寂しいから誰でもいいから自分に注目しろ」なのか分かりませんが、そこで発現した言葉の数々は、受け手にとっては異なる意味を持ち、力を発揮していきます。

発信側と受信側での感知の差異によって、追い詰められる、傷つく、恐怖に怯え硬直する、ということは、いとも容易く起きてしまうわけです。言葉は、私たちの想像を超える効力を発揮するものだからこそ、音としても図形としても定義としても、使い方に留意する必要があります。他者に対してだけでなく、自分に対しても。

セルフトークには、自分のマインドから発現する全ての言葉が含まれ、自らにも他者にも世界にも大きな影響を与えるでしょうから。大人として、いかなる状況においてもそのことを肝に銘じておく必要があるなぁ(自戒を込めて)と改めて思考を巡らせました。それができて、初めてアファメーションの入り口、スタートラインに立てるのでしょうね、きっと。

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