僕は、(犯罪に巻き込まれるなど)しんどかった時期が長かったので、盲点を探しそこで憩うということをしばししてきた。
イメージで伝えるなら、「監視カメラの死角を探す」といったところか。
僕が好んだやり方は、歩道橋の上で5、6分寝転び空を眺める、というものだった。
実は、今もたまにする。
歩道橋は、通勤通学の時間帯を除けばほぼ利用者がいない。また、歩道橋の上で伏せっていれば、地上を歩く人やビルの中で活動している人から視覚になる。
また、寝転んでいれば歩道橋の鉄骨と耳との距離が近いので、階段が登ってくる人がいれば、振動などでわかる。
それはさておき、一個人に盲点があるように、社会や世界にも盲点がある。
アインシュタイン以前の世界においてアインシュタインの発見は盲点であった。
やや駆け足で説明すれば、ノットノーマル=社会の盲点=創造性の原点(源点)だろう。
どのような対象にとって自分の存在が盲点となりうるか?を考えれば、いろいろと便利な場合さえあるし、芸術や学術の面では秀でた才能を発揮できるだろう、と思う。
ただし、あまりに社会にとって盲点すぎると、なかなか人に気づかれないこともあるが、それもそれで面白い。
君は1000%