冤罪事件のニュースをみていて思ったのですが、日本の裁判で起訴したということは「被疑者は有罪」というゴールが設定されてしまう形に、しくみ上なってしまうのかもしれません🤔
さらにやばいことには、そこに「でも冤罪は、あってはならないこと」という意識が加わると、それらしいことが起きても、ないことにしようとする動きになりやすい気がしますʕ•ᴥ•;ʔ
だからほんとうは、「間違いはあってはいけないが、起こりうるもの」という前提でゴールを設定しないといけないのだと思われます。
けれど、その前提を入れただけでもいっきに情報処理が複雑になってしまうはずで、ふつうはやりたがらないのかもしれません。
脳は、こんなところでも手抜きになろうとしているのでしょうか。φ( ̄(工) ̄)