こんにちは。苫米地派コーチの堂城です。
昨日の朝、第19回セルフコーチング意見交換会のファシリテーター(司会進行係)を務めました。
第18回までは、主催者の沼田コーチがファシリテーターを務められていたのですが、
第19回以降は希望者が希望者がいれば、ファシリテーターに立候補OKということだったので、
「参加者として参加するのも楽しいけど、ファシリテーターで参加するってどんな感じなのかな?」
という好奇心で立候補し、第19回でファシリテーターになったという経緯です。
意見交換会で話された具体的な内容には触れませんが、
例えば、
堂城が最初から最後まで
「セルフコーチング意見交換会」
を
「セルフトーク意見交流会」
だの
「セルフトーク意見交換会」
だのと言い間違えていたにもかかわらず、
沼田コーチ他参加者さんが誰一人、その誤りを優しくスルーしてくれるような和やかな会でした。
(誤りは意見交換後、教えてもらいました。一応言い訳をすると、前日に「セルフトーク」についての勉強会に参加しており、記憶がごっちゃになっていたかも?でした。)
堂城主観としては、(僕が、「セルフトーク意見交換会」というたびにみんなニコニコしてて不思議だなあ。俺、ファシリテーター向いているのかなあ。これが人徳かあ。)などと思っていました。
ともかく、
とても楽しい、よい経験になりました。
今後も時折、ファシリテーターさせてもらおうと思っています。
もし、あなたが「セルフコーチング意見交換会」に興味があるなあ、参加してみようかなあ、と思われている場合、
ファシリテーターや一参加者としていずれお会いするかもしれませんね。
その時は、よろしくお願いいたします。
沼田コーチ、参加者の皆さん(たぶん、名前を出してもいいと思うけど、念の為伏せておきます)、ありがとうございました!
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以下、ファシリテーターを終えて、ふと思ったことです。
「ファシリテーター役は初めての体験だ、と思っていたけれど、似たような経験何回かしたことあるなあ」
「そういえばひと月前に知り合いと開いたZoom懇親会での自分の立ち位置はファシリテーターっぽかったなあ」
「普段通っている武術道場で新人さんや見学者さんがくると、みんなの紹介をしたり、適当に話を繋いだりしているけれど、これもファシリテーターっぽいかな?」
などと思いました。
何が言いたいか、というと、
ファシリテーターは初めての体験であったけれど、初めての体験っぽくなかった。
で、なぜそう感じたかというと、
僕が日々want toを大切に生きているからではないか、と。
・やりたいことをやりたいようにやってきたから、多様な経験が蓄積された、という面もあるし、
・やりたいことを次々にやるようにしていると、前にやったことと、これからやることが重なり安くなるな、という面もあるだろうし、
・これは僕の個人的感覚かもしれないけれど、やりたいことってやりおえた後、すっかり忘れてしまうことが多く、ふとしたきっかけで思い出すことが多いっぽい?
こうした性質をまとめて表現すると、
want toで行ったことは点になる。そして、その点と点がつながることも当然起こる。
一方have toは「〇〇になるためには××しなくてはならない」というような条件文であることが多いため、
点というよりも、ブツ切れの線、という感じがする。
(AするためにBするためにCするためにDしなくてはらなない。A←B←C←Dみたいなイメージ。
(具体的には、
いい大学に入るには、いい高校に入らなくてはならなくていけなくて、いい高校に入るには中学でいい成績を取らなくてはならなくて、中学でいい成績を取るためには、内申点を上げなくてはならなくて、内申点を上げるためには、毎日学校に行かなくてはならなくて、だから今日8時には家を出なくてはならなくて、私はもう起きなくてはならない。みたいなイメージ。)。
書きながら、いろいろ連想が膨らんだため、脱線しちゃうのだけれども(ちなみに、ここまでの文脈なら、脱線、という表現はhave toから脱するという感覚でもありますね。)、
常識的な感覚に従うなら、
have toこそゴールという概念とつながりそうな気がする。
というのも「〇〇になるためには××しなくてはならない」という表現は、
〇〇というゴールを達成するために、××がhave toである、という感じがするから。
しかし、コーチングにおいては、こうした感覚は誤っています。
・ゴールは自分で設定する。
・ゴールは現状の外側に設定する。
からです。
「〇〇になるためには××しなくてはならない」
という状況は、
他人から植え付けられたゴールを追いかけている可能性が高いし、また、達成方法が見えているなら現状の外側のゴールではないだろうから。
で、僕が今、ぼんやり考えているのは、
want toの積み重ねでゴールにどんどん近づいてしまうのはなぜなんだろう?
あるいは、
ただ、want toを積み重ねるだけで、本当にゴールに近づけるのか?
(実は、他にも条件がいるんじゃないか?)
端的にいえば、
want toによって無数の点ができるとしても、点と点をつなぎ合わせるためには、当然抽象度の上げ下げが必要になってくるだろうな、と考えています。いや、正直、この考えにはあまり確信はなく、「たぶん、こんなふうに整理して考えてもいいはずだろう」くらいの感覚です。たぶん。
僕は、want toとして、ファシリテーターに立候補して、それを楽しんだ。
でも、ファシリテーターというのは、たまたま、手にした経験であり、僕自身のゴールというわけではない。
こうして日々手に入れる楽しいご縁がどんどんゴール達成に結びつくには、僕の中で何か変化が、あるいは、より深いマインドへの理解が必要な気がする。
それは、気づきや体感と呼べるものであり、have toという意味での必要性ではないだろう、と思う。うーん、で、まあ、学びを深めていこう、と思った、ということでした。