こんにちは。堂城(どうじょう)です。

先日、セルフコーチング意見交流会のメンバーの諸岡さんとお話しする機会がありました。

お話するに至った経緯ですが、僕がかなり充実した(?)不登校生活をしていたとセルフコーチング意見交流会のslackに書いたところ、諸岡さんから興味を持っていただいたのが発端です。

諸岡さん自身かつて学校に行かなかったことがあり、また、娘さんがフリースクールから生まれた特例校出身で通信制高校に在学中とのことでした。

TTCやセルフ意見交流会のメンバーの皆さんとはいろいろな角度からお話しできたら、嬉しいなあ、と思っていたので、さっそくDMでやり取りし、日程調整してお話しさせていただいた、という次第です。

以下、諸岡さんとの対談をダイジェストでお送りします。

(話している最中は、こうして事後的に文章にするつもりはなかったため、かなりざっくばらんに、思いついたことを話しました。なので、以下の文章も話題が飛び飛びなのですが、臨場感があっていいかな?と笑。)

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対談の冒頭では、改めてお互いに自己紹介。

僕は、不登校関連で興味を持っていただいたということで、ざっくりと自分の不登校体験を説明。

諸岡さんからは、諸岡さんが、これまで佐藤学さんや奥地圭子さんの活動に共感していたこと、学んできたこと。現在では、スクールソーシャルワーカーとして務められていることを伺いました。

自己紹介の後は、お互いに思いついたことや、普段から考えていることなどを話しました。

なので、こうして記事にまとめにくいのですが・・・こんな話をしました。

・諸岡さんが堂城が中学をやめた理由に共感。

僕は、中一の時、クラウゼヴィッツの『戦争論』という本を読んだのですが、その際僕は「この本で得た学びより、今後中学三年間で得られる学びは小さい気がする」と思い中学を辞めました。

その話をしたところ、「そうだよね」と諸岡さんが共感。諸岡さん自身、校則の厳しい中学に通われ「こんなところにいても」と思い中学時代不登校になったそうです。

僕も、諸岡さんのエピソードを聞いて嬉しくなりました笑。

中学時代、僕のこの話を理解してくれる人はほぼいなかったので。

「やっぱり、そうだよねー」と思いました。

・知識があってもそれだけじゃ足りない。

諸岡さんがかつて困難に見舞われた際、知識だけでは、問題を解決できなかったそうです。困難を抜け出すには何をすればいいかを知り、そして実際に行動することで、困難を解決したそうです。

知識はいくらでも転がっているけれど、その知識を活かすにはエフィカシー(自己能力の自己評価)を高める必要があり、エフィカシーが高まれば、知識が自然と行動に変わる。

僕は、諸岡さんと話す中で、どんな困難であっても、エフィカシーが高まれば、楽しく前へ進むことができると、感じました。

困難から逃れるためにもエフィカシーがいる。

エフィカシーがぶっとんだ人間がたくさんいることによって、さまざまな困難な状況にある人たちが自分たちの生き方を自由に選べるようになる、そう実感しました。

・子供は自然と成長する。

学校という枠に縛られずに、子供がやりたいことをどんどんやっていけば、子供は自然と成長する。

だとしたら、どんどん成長している子供たちにどんな学習支援ができるだろうか?という話になりました。

諸岡さんからは「自分の成長は自分ではなかなか気づきにくいですよね」「子供自身が自分の成長に気づくきっかけを与えられるような関わり方がいいですよね」と教えていただきました。

確かに!

・堂城さんは、ゆるりとしているところがいい?

諸岡さんから「堂城さんと話してみたいな、と思ったのは、雰囲気?ゆるりとした雰囲気がいいな、と」と言われました。さらに、「堂城さんはふらふらしているところがいいのかもしれない」とも。

僕自身、ふらふらしたり、ゆらゆらしたりするのが大好きなので、ありがたいなあ、と思いながら拝聴。

「ふらふらしている堂城さんを目の当たりにして、こんなに自由でもいいんだ、と子供が感じる」と。

と、同時に「ふらふらする堂城さんの重石役になる存在がいるとよいかもしれない」とも教えてもらいました。

僕が、僕が好き勝手に楽しむ様を子供に見せて、彼らがより気楽に楽しくそれぞれの人生を邁進していってほしい、と思っています。

と、同時に、僕の個性をより活かすには、僕にはない個性の方とどんどん協働して行こう、と思いました。

(追記、と思ったけれど、別のメタファーも良いかな、と思う。ふらふらする凧のような存在を止める重石、というメタファーに替わり、凧よりも鳥や風の方が、今の自分にはしっくりきそうです。そんなことを考え出すと、風ってなんなのかなあ、とか思い始めるのですが(僕は、メタファーから哲学的思考を展開する傾向があります。多分。)。まあ、その辺のことは、機会があれば、書くし、しばし、ぼんやり考えることにしよう。)

・福祉と教育の違い。

僕は現在、仲間と一緒に私塾の創設準備をしています。不登校の子のサポートだけではなく、学校に実は行きたくないけど通っている子が自由意志で学校以外の学びを選べる社会にしたい、という思いがあります。

学校に収まりきらない、収まりきれないうずうずした子供を、さらにうずうずさせて自由奔放な人生をかけての学びの世界に案内していきたい、と思っています。

そういう思いがある一方で、家庭内暴力など苦しい事情で学校に通わない子もいる。そうした子への配慮を蔑ろにしている気がしてモヤモヤしていました。

そうした思いを諸岡さんともお話ししました。

その中で、諸岡さんからは「福祉はマイナスを0に戻す。教育は0をどんどんプラスにしていく」「教育によってどんどん花開く人が増えたら社会全体も良くなるのでは?」という視点をいただき、

僕自身「学びによってみんなの期待水準をぐんぐん上げて、暴力などそもそも想像もつかない社会に変えたい」という思いを言葉にしました。

と、同時に、僕は困難から逃れることも「めっちゃ面白い学び、創意工夫、楽しみ」にしたい、とも思いました。

もし、現在、困った状況にいる子供に対しても、その困った状況をゲーム感覚で乗り越えるためのサポートをしたい。それも教育や学びの支援の一環になると思います(堂城の意見)。

・場所への不信感についても話しました。

堂城は以前、不登校の子どもの居場所づくりを目指している方のサポートをしていたことがあります。

その際、僕は「この人たちは、ただ単に自分たちの居場所が欲しいだけなんじゃないか?」と感じました。

諸岡さんとは、僕の「居場所づくり活動への不信感」もぶつけてみました。

諸岡さんも「確かに、不登校支援をしようとしている人は、かつて不登校だったり自分の子どもが不登校だったという方が多い気もする。中には自分がいかに不登校から抜け出したかとか自分たちがどうやってきたかの成功体験を押し付けたいという人もいるかもしれない」と。

と、同時に、諸岡さんと諸岡さんの娘さんが見つけた不登校特例校は「とても素敵な場所で、ここに通おうとすぐに心に決めた」とも言われていました。

僕自身、小中学校時代に通ったフリースクールは楽しかった。それに現在通っている武術道場も楽しい。

「場所というのは人の発散するエネルギーが自然と作るものじゃないか?」と諸岡さんに言われた際、その通りだな、と思いました。

「自分の居場所がほしい」人が作った場はそういう場になるし、利他的な人の活動が生み出した場は、創造性豊かな場になる。

子供は自由に自然に学んでいく。

それと同じくらい、

場所というものも人が活動をしていれば自然とできてくるものじゃないか。

実際僕自身の周りにも、少しずつではあるけれど(イメージは割り箸を掻き回して少しずつわたあめを作る感じ。一見、空転しているんだけど、なんかできている!?)場所っぽいものができつつある。

・対談の最後の方に読書の話へ。

諸岡さんはかなりの速読家のようでした。一方僕は、一字一句音読しながら読むレベルの遅読家です。

諸岡さんは「人の物語がすきだから、文字よりもストーリーを追いかけて読む」とのこと。

一時間ほど話した後だからかもしれませんが、「文字より人の物語が好き」という表現に、諸岡さんの人となりが現れている気がしました。

逆に、僕は、ストーリーよりも何らかの無意識レベルの機微に興味があるのかもしれない。

「文字を読み、文字を書くことによって、本来は気づき得ないことになぜか気づく自分が生まれる気がしている」

(まあ、ジェイムズ・ジョイスとか、アンドレ・ブレトンとかそういう系統ですね。実は全然違うけど。)

僕は「不登校」という言葉が実は結構好きだったりします。

というのも、「わかりやすい」く「ネタ」にできるからです。

諸岡さんとの縁もそうだけれども、「不登校」という言葉を活用すれば、結構色々な方と仲良くなれるし、楽しく話せます。

そういうキーワードとして好きです。

「昔、不登校だったんですか?僕もですよ」という会話は、「昔、バスケ部だったの?僕もバスケやってましたよ」みたいな感じで、手軽に使えてなかなか良いです。

(多分、元バスケ部の比率より学校に通わなかった人の比率の方が高いですしね。)

その一方で、「不登校」というキーワードで知り合った方とお話しすると、だいたいいつも「お互いに違う面が浮き彫り」になります。実は、それが、楽しいと思うし、お互いにとって素敵だな、と思います。

対談の最後に、文章の読み方を通して、諸岡さんと僕の違い、それぞれの個性を垣間見れてよかったな、と思いました。

・最後に

この文章を書くきっかけは、諸岡さんからいただきました。

僕が「たまに気になった教育関係者にアポをとって話を聞き入っている」

と話したところ、

諸岡さんから「それは文章にしているの?」と尋ねられました。

僕は内心、これまで幾人かの方から話を聞いてみて、「この人の話は素敵だ」と感じた場合、記事にしたいなあ、と思っていました。

ただ、相手の方に記事にする了承を得るのがなんとなく恥ずかしく(関係性を変えてしまう気がし)後回しにしてきました。

けど、諸岡さんの言葉から「やってみたいことはどんどんやって当たり前」という気持ちが湧いてきました。

その気持ちをさっそく発揮してみよう、と思い諸岡さんとの対談を記事にしてみました。

諸岡さんには、こちらの「記事にしたいです」というお願いを快諾いただきありがとうございました。

ここに書いた文章は、ざっくりとした要約なので、実際に話した言葉通りではない場合もあります。

↓スクリーンショットで記念撮影

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